LCCの歴史



LCCの原型は、1977年にニューヨークとロンドンを結んだ、「スカイトレイン(Skytrain)」の名称で運行した、レイカー航空(Laker Airways)だと言われている。

その後多くのLCCが誕生しては、その脆弱な財務基盤、外的要因などにより、多くのLCCが消えていった。

LCCに分類される会社が、安定して運行され、収益をあげ、そして中にはライアンエアイージージェットジェットスター航空などのように「大手」とまで言えるほどに成長したLCCも、この10年のうちに誕生、急成長してきた。

LCCの原型と言えるレイカー航空の誕生

レイカー航空

レイカー航空は1966年、ロンドン・ガトウィック空港を本拠地に、乗客用チャーター機、及び貨物便の運行を行う会社として設立された。

この頃の航空業界は、IATA(International Air Transportation Association)という、世界中の主だった航空会社が加盟する団体が、カルテル、つまり簡単に言えば談合の上、各路線の運賃を決めていたため、運賃は考えられないほど高いものであった。

また、新規航空会社の参入は、厳しく各国政府、国際線に関しては政府間により制限され、実質的に新規航空会社は、定期便への参入は不可能な状態、チャーター便しか運行が認可されない状態であった。

そんな中でも、このレイカー航空は、現在のLCCにも通じる、無料で預けられる荷物の重量をを他社より少なくし、燃費の向上を図ったり、当時としては、大手航空会社では実施されたいなかった様々なコストを抑える努力を行い、それをチャーター料金に反映させてきた。

このレイカー航空の格安チャーター便を利用した、イギリスからカナリア諸島など、ヨーロッパ各地を訪れるツアーが人気を呼び、イギリスでも、もっとも利益のあがる航空会社とも言われるほどになった。

イギリスとアメリカの大西洋路線を、格安料金で結ぶ、「スカイトレイン(Skytrain)」の構想は、1971年に発表されたが、当然のことながら、このドル箱路線である大西洋線の高運賃を維持したい、既存大手航空会社の猛烈な反発にあい、政界工作など様々な妨害により、その実現は1977年までの数年間またなければならなかった。

スカイトレインの誕生

スカイトレインの誕生する1977年までの間に航空業界は、業界をとりまく2つの大きな環境の変化を体験している。

そのうちの1つは、「航空機の大型化」である。

今まで使用されてきた機材と比較して、マクドネル・ダグラス社のDC-10、そして最大級の旅客機、ボーイング747等、2-3倍のキャパシティーを持つ航空機が誕生、また多くの航空会社も先を競うように、大型機材に更新を行っていった。

そして、「規制緩和」である。

新規参入の航空会社には、定期便の運行は認められず、チャーター便の運行のみしか認められなかったのは、前述の通り。

チャーター便でも、いくつかチャーター便の形態があり、当時認められていたのは、「アフィニティ・チャーター」と呼ばれる、旅行クラブなど同じ目的を持った団体が航空機を貸しきる形態のみ。

これが1973年に、イギリス、アメリカ、カナダで新しいチャーターの形態、「アドバンスド・ブッキング・チャーター」(Advanced Booking Charter、略してABC)が認可されるようになった。

この新しい「アドバンスド・ブッキング・チャーター」では、「アフィニティ・チャーター」の「同じ目的をもった団体のチャーター」という縛りがなくなり、4週間前、場合によっては2週間前までに、チケットを事前購入すれば条件をクリアとなった。

この「アドバンスド・ブッキング・チャーター」による最初のフライトは、レイカー航空によって運行された、マンチェスター・トロント間の飛行機であった。

この2つの大きな出来事の後、競合となる英国航空、パンナム、TWAなどとの法廷抗争も経て、ようやくイギリス、アメリカ両国政府の認可もおり、いよいよレイカー航空のスカイトレイン、ロンドン・ガトウィック空港と、ニューヨーク・JKケネディ空港間が、1977年9月に運行が開始された。

この格安な運賃の大西洋横断線は、今までの高額な運賃に不満を持つ人々の圧倒的な指示を得、レイカー航空は、更にロンドン・ロサンゼルス、ロンドン・マイアミ等路線を拡大、大西洋線の4番手のシェアを獲得するまでになった。

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レイカー航空の崩壊

順調な業務の拡大を続けるレイカー航空に、第2次オイルショックが襲い、その後、1980年初頭のイギリス、アメリカ両国は、景気後退に覆われた。

レイカー航空のような低運賃の航空会社にとって、この原油価格の高騰による運行コストの上昇は、他の大手航空会社以上に経営を圧迫、そして低運賃で利益を確保するのには、高い搭乗率も欠かせない要素であるが、この英米を覆う不景気は、その搭乗率の低下を引き起こし、レイカー航空の収支にマイナスのインパクトを与える。

また、レイカー航空はイギリスの会社であるが、燃料、航空機機材の代金の借入、支払いUSドル建てで行っていたが、この時期ポンド安・ドル高が進んだことも、ますます、レイカー航空の経営を苦しめ始めた。

この状況を、英国航空、パンナム等、大西洋線を運行するライバル大手航空会社が情報をつかみ、今まであえてレイカー航空との運賃による全面戦争をして来なかったが、その方針を転換、レイカー航空の運賃にマッチングした料金の航空券を販売開始。

レイカー航空の乗客はみるみる、競合するライバル会社に 流れ乗客は激減、1982年2月にレイカー航空は運行停止、倒産することとなった。

サウスウエスト航空の誕生

サウスウエスト航空
その後の1980年代は、格安航空会社の存在感は薄い。

前述のように、大手航空会社はIATAというカルテル組織によって、高運賃が守られていたが、シンガポール航空、大韓航空など、IATAに加盟してない航空会社が、より低運賃での就航。

そして747を始めとする機材の大型化に伴い、その大量の座席を埋めるため、IATA加盟航空会社の中からも、その協定運賃・ルールを破り、こっそりと旅行会社経由で安い航空券を流通させたりと、1980年代は大手航空会社による「格安航空券」の時代であったと言えるだろう。

格安航空会社と言える新興の航空会社もあるにはあったが、それこそ「安かろう、悪かろう」の典型、それどころか、脆弱な財政基盤による不安定な経営により、ある日突然消えていく新興の格安航空会社も多くあり、多少の値段の違いであれば、大手航空会社の格安航空券を利用する乗客の方が多数、LCCはメジャーとは言えない存在であった。

そんな中、次第に1990年代中頃からサウスウエスト航空が、その存在感を高めてくる。

サウスウエスト航空の歴史は意外に古く、1967年にアメリカ合衆国、テキサス州に、エア・サウスウエストとして設立されたのが始まりだ。

サウスウエスト航空は、その当時航空行政による規制が厳しかったこともあり、テキサス州内での運行が認められておらず、単に1ローカル航空会社であった。

その後規制緩和により州外への運行も認可され路線網を拡大していったが、その過程で、LCCのビジネスモデルである、「エコノミー単一クラス制」、「エプロンでの駐機時間を短縮、機材の有効利用」、「旅行会社を通さない、航空券直販体制」、「座席自由席制」、「機材の絞り込み」などを取り入れていった。

現在のサウスウエスト航空は、国際線は運行せず、アメリカ国内線のみを運行しているが、それでも69都市に運行し、1日に3100のフライトを運行するまでになっている。

特にこの会社は「従業員を大切にする」事で知られ、人件費もコストカットの対象、安い給与のイメージが強く、また実際にはその通りの会社がほとんどのLCCではあるが、サウスウエスト航空は逆に、同じアメリカの航空業界でも大手に引けをとらない、会社によっては逆に高い給与が、サウスウエスト航空従業員に支払われている。

その為、離職率が業界平均より大幅に低く、従業員満足度が高く、おまけに顧客からの指示も得て、業績も絶好調と良い事ずくめのサウスウエスト航空は、メディアからの取材でも多く好意的に取り上げられ、従来のLCCに対する「安かろう、悪かろう」というイメージを大幅に変えた。

2000年代から現在まで

ライアンエア
2000年代に入ってからは、航空業界にとって受難が続く。

2001年にはニューヨークでの911のテロの発生、ITバブルの崩壊による、全世界的な景気の低迷、イラク戦争による原油価格の上昇など、航空会社の経営状態を圧迫し、スイス航空、ユナイテッド航空など、名門大手航空会社が破綻することとなった。

そのような決して恵まれていたとは言えない状況で、「格安運賃」を武器に、従来のタイプの、いわゆる「レガシー・キャリア」から、マーケットシェアを奪っていったのは、LCCである。

各地域内で有力なLCC、例えばヨーロッパでは、ライアンエアイージージェット、アジアでは、エアアジアタイガー航空、オセアニアではジェットスター航空、アメリカでは前述のサウスウエスト航空ジェットブルー航空が、ますますその存在感を高め、もはや「大手」格安航空会社と呼べるようになっていった。

日本においては、ここ数年前まで、海外を個人手配で周遊する旅行者以外、「LCC」(エルシーシー)という言葉さえも、一般にはほとんど認知されていなかった。

日本においては、「LCC」または「格安航空会社」という言葉が、一般的なニュース等のメディアで取り上げられ、耳にするようになったのは、海外のLCCの日本乗り入れ第1号である、ジェットスター航空の運行を、2007年に開始してからである。

そして、一気に「LCC」の認知度をあげたのが、2010年である。

この都市、2010年の7月に、中国の格安航空会社である、春秋航空が、上海・茨城空港の就航を開始、就航キャンペーンで片道4000円からという、その衝撃的な価格がメディアで大きく取り上げられた。

続いて、エアアジアXが2010年12月、羽田空港・クアラルンプール間の運行を開始、就航キャンペーンで片道5000円という価格と、羽田空港の国際化も相まって、この出来事も大きくメディアで報道され、この2つの出来事が、日本でのLCCという言葉、新しい航空会社の形態の認知を上げたと言える。

今までどちらかというと、海外に比べてこのLCCによる就航がなかった日本であるが、関西空港を始め、地方空港、そして成田空港もLCCの誘致に積極的にかかわり始め、今後新規のLCCの日本路線参入が見込まれる。

日本国内では、ANAが2011年2月、香港の投資会社と共同でLCCの新会社を発足、2011年秋にも運行を開始する予定。

東京・大阪間の国内線のみならず、韓国などアジア近隣諸国への国際線の運行も予定しており、今後の日本におけるLCCは、目まぐるしく変わっていくものと思われる。

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